7月5日の思い出 橈骨頸部骨折
それは1981年、わたしがまだ花も恋もあったような気がする高校一年生の時のお話です。
誰もが鬱々とした気分に陥るイベントである期末試験最終日、日程を終えて答え合わせ兼打ち上げと言う口実でクラスの女生徒をデートに誘いOKを取り付けて心躍る午後でした。
諸々の心構えを整えチャリを蹴って一路待ち合わせに向かう路、よほど調子こいてたんでしょうかね。
いつもなら軽くクリアできるチャリによる用水路の飛越ジャンプに失敗しました。
半身ずぶぬれ、そして手から腕船体に痛みと違和感があることを自覚しました。
こりゃあかん、と状況を整理しお相手女子にキャンセル連絡をしました。
今と違い携帯電話なんぞ誰も持っていない時代です。
しかし連絡手段などいろいろありました、
待ち合わせ場所に指定した喫茶店に電話をし伝言を頼みました。
そのご病院で診察を受けてみますと見ごとの橈骨頸部骨折だったのでした。
さすがに当時の自身の画像データなどは手元にありませんので比較的に標準的の症例のサンプル画像を貼り付けてみました。
この画像の症例であればギブス固定の後、安静保存三週間で完治ってところでしょう。
しかし私の場合はちょいと厄介な状態でした。
橈骨頸部から骨頭にかけて潰れてしまっていまして、このままの固定、整復は困難でした。
結局骨盤から骨片を削り出し患部に移植する全身麻酔での外科手術を施すことになりました。
夏休みの到来とともに三週間の入院加療が始まりました。
いろいろ企んでいた高1の夏休みがひどい有様になったのですよ。
吹奏楽のコンクール参加も、仲間との海水浴も、みんなパーでした。
あ、デートをドタキャンしてしまった女子は義理か人情か数回ほど病院に見舞いに来てくれましたよ。
まそれはそれでね。
あれから三十年以上けいかしまして日常生活に何の支障もないのですが、肘関節の可動域制限が若干残っております。
あと手術痕がまだ消えてませんね。
と、他愛のない昔話でした。