鍼灸雑話

鍼灸師はまだようによry医療系小ネタ。

初めての

ちょいと昔話でございます。

 

バブル真っ只中の昭和59年の夏でございました。

 

堺屋太一の小説、油断 におきましては西暦で4の倍数の年、つまりオリンピック開催年にテロによるペルシャ湾封鎖で日本が未曾有のオイルショックパニックに陥るなんて話がありましたが、この年はロサンゼルスオリンピックは開催されましたが日本においてはかようなパニックなどない普通の夏でございました。

 

わたしが初めて人様の身体を触りお金を頂戴したのはこの頃でした。

まだ鍼灸の学生の見習いバイトでしたが当時の学生の時給が600円そこそこの時代に一晩で一万円保証される高待遇は魅力的でした。

 

場所は本所錦糸町、当時は風俗店や場外馬券場などなんとも素敵な街でございやした。

国電駅から徒歩一分、ルート14沿いの楽天地ビル9階のサウナが仕事場でした。

 


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70年代は江東楽天地と言うレジャースポットでしたが、楽天地ビルになってからの話ですね。

 

当時はこのビルのメインテナントは西武百貨店でした。

その後、LIVIN、西友、と変わりましてこの春からはパルコが入るとか。

 

なんとも気門の如く短いターンでテナントが変わってますが、映画館やサウナは未だ健在のようですね。

 

確か初勤務が両国の花火の日でして、23時から翌朝9字までの間に30分コースを14本やりました。

 

報酬が1本につき1400円でしたから19600円いただきました。

夜食、仮眠は取れる事になっておりましたが、もうおかしなテンションですっかり忘れてましたな。

 

あんま用の指も身体も出来てない学生がいきなりこんな数を熟したらどうなるか。

ましてや病人や高齢者相手ではなく、東京下町の荒くれ集う錦糸町のサウナですからね。

 

家に帰り一眠りして起きたら指は腫れて箸も持てぬほど。 腰も痛くて伸ばせない。

 

そんな状況になりましたね。

 

まあお陰さんでその後指が痛くて辛いとか感じる事は一度も無くなりましたからこれはこれでね。

 

意外と好きなんですよ。

身体をいじめる修行みたいなやつ。

空手バカ一代を読んでた世代で腐らね。